2009年06月16日
そもそも、私が、基礎化粧品って本当に、化粧品会社がいうほどいるのかな、と、素朴な疑問を持ったのは、祖母の肌を見ててなんですね。
私は、祖母持ちでして、一番短命だった祖母でも、80過ぎ、一番長生きした祖母で、96くらいまで、元気だったんですね。
で、昔の人なんで、みんな、そんなに化粧品使ってるのをみたことないんですよね。
夫の祖母なんて、田舎の人ですから、よく、朝夕草引きしておりまして、紫外線とかいっぱい当ってたはずなんです。
でも、昔の人は、今みたいに、杓子定規に時間で働くのではなく、自然や気候に合わせて働きますから、暑ければ、早朝や夕方に仕事して、暑い盛りは、昼寝、というパターンですよね。
よく今の人は、融通がまったく聞かないから、可哀相だ、と、いってましたっけ。
日本で時間が定時法になったのは、明治に入ってきてから、なんですよ。
昔は、日の長さにあわせて、時間を決めていたので、夏と冬は、1刻の長さが違ったんです。
整列して歩くというのも、明治時代の富国強兵策から、でして、中央集権国家になってからの産物でございますのだ。
ですから、昔の日本人は、オリンピックの開会式の外国の選手団みたいに、あんな風に、三々五々ばらばらに行列してたんですって。
整列して並ぶ、というのは、プロシアの軍隊式、なんだそうです。それを、義務教育の小学校で取り入れてから、全国に広まった習慣なんだそうです。昔は、日本も徴兵制がありましたしね。
正座も、大正時代に一般化した、すわり方、なんだそうです。意外でしょ。
武士は、足がしびれてたら、すぐ反応できないですからね。いかに、平和であるか、という、座り方なんですね。
私たちが、なんの疑問も持たずに、常識とか当たり前とか、思っていることも、せいぜい、ここ50年くらいの話、ってことは、案外多いものです。
だから、当たり前とか、も、年年歳歳、世相につれて、変わって当たり前なんですね。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの流れにはあらず、って、やつです。
あ、また、話が、それてる。
閑話休題。
ま、ともかく、祖母たちは、水で洗顔して、ぬか袋とかの洗い粉で洗い、椿油と海藻からとるフノリで、髪の手入れをし、古くなった絹(紅絹ですね)の切れ端で、肌を磨いていたわけです。
で、自家製のへちま水、くらいを、粋筋でない女性は、つけるくらいだったらしい。
資生堂のおいでるみん、というのが、すごく、ハイカラだったそうで、祖母は、化粧品は、絶対、東京銀座資生堂と、信じてましたが、それにしても、おしろいと口紅くらいしか、つけていなかった。
まあ、寄る年波で、皺とかは、あったけれど、年の割には、シミもなかったし、すごく艶々の美しい肌でございました。
まあ、本人たちは、こんなしわくちゃの汚いお婆さんに、なっちゃって、と、嘆いていましたが。
言いたい放題やりたい放題やって(なんせ、もうお祖父ちゃんたちは、とっととあちらにいってますし、だれも、祖母たちを止めるものは、いない…)、食欲旺盛で、趣味にいそしみ、たっぷり寝るというのが、やっぱり、美肌には、いいんでしょうね。
石鹸も、結構最近の商品なんですよね~。
美肌の基本は、濯ぎと栄養と睡眠とクヨクヨしないこと、だと、思う、石鹸やで、ありました。
売ってなんぼの、石鹸やのいうことか。
おまけ、今日の名文(笑) 鴨長明 方丈記の序です。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。
世の中にある人と住家と、またかくの如し。
玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を爭へる、尊き卑しき人の住居は、
代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
或は去年破れて今年は造り、あるは大家滅びて小家となる。
住む人もこれにおなじ。
處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。
朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。また知らず、
假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。
その主人と住家と、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顔の露に異ならず。
或は露落ちて花殘れり。
殘るといへども朝日に枯れぬ。
或は花は萎みて露なほ消えず。
消えずといへどもゆふべを待つことなし。